人生を何に捧げるかは人の勝手

a person holding a sign that says the climate is changing so why isn't

人の人生は、ネタであり、暇つぶしであり、かたまりの一分子であり、地球の肥やしでしかないので、何に人生捧げても同列だと思っています。グレタさんの環境活動も、グレた青年の反社会活動も同列で、優も劣もなく好みの問題です。

私が捧げる対象

私は大切な人たちが機嫌よく生きるために、人生捧げています。カッケーだろ。

大切な人たちがどうしたらご機嫌に生きられるのか、そんなもん分かる日は来ません。でも、機嫌よくいられなくなりそうな状況である事を見聞きすると強烈に意識が持って行かれます。だから勝手に解消方法を調べたり試したりして知っておく。気が向いたら、ご自由にどうぞと置いておく。それがたとえ引くほどコストやリスクが必要だとしても、私は意識を奪われたせいで何も手につかない瀕死の状態なのでやった方がマシ。何かしらの行動として自分の外側に追い出したら、自分の意識は取り戻せます。余計なお世話で迷惑だという陳情は却下。こっちだって大迷惑を被ってるからお互い様です。

結局は自分のため

地球、社会、仲間、推し、恋人、家族、どんな対象のためだと言っても結局は全て自分のためです。

直で自分のために生きている利己的な人の方がよほど素直でシンプルで、見習うべき事が多いかもしれません。

人の事は分からないから考えるだけ無駄

人の事は一生分からないものだと私は思っています。分かった気になって、共感して感情移入してそれを原動力にする事はできますが、分かっているのではないのです。こんなストーリーでしょうという自分の願望の押し付け。

そんなストーリーではない。人の中に、何が積み上がっていて、今何が起こっているのか、これからどう変化するのか、外から知る事はできません。

私が大切な人を思って一喜一憂しているのは私だけのストーリーで、どこにも存在しないフィクションです。だから突っぱねられて当たり前だし、そのやりとりがめんどくさいので押し付けません。

全てがフィクション

どうでありたい、どうでなければ、それに囚われてもOK。意義を持って生きるというストーリーな人ってだけ。立派に見えるけど、異次元空間で妖怪に転生して生きてる人と何の差もない。むしろ、世界中の人々を熱狂させ大金を動かしているのは、崇高な理念を語る神の使いではなく、社会不適合者が描く、“モンスター”界隈。

気が済むまでそれに捧げ、飽きたら他に捧げ、捧げる対象ねーわと思ったら、下さい。一緒にパーっと使いましょう。

一個人の人生なんて、たいしたもんじゃないんだから。