ちょうどいい共生

ただ、居る

私が思う理想の共生は、自分を向いた人が、何かあったらいつでも頼っていいという背中をしながら、ただ空間を共有している状態です。

でもその状態、なかなか自然発生しません。

空間を共有する集団

人生の中で人と空間を共有して過ごす機会は限られています。凡人なら、学校、会社、家族くらい。

それぞれ主たる目的が別にあって、そのついでに空間を共有しています。学校なら学び、会社なら儲け、家族なら、、、愛?

主たる目的をおろそかには出来ないので、そうそう自分だけを向いてられない。

愛憎を投げ合う家族

トマト祭り。写真提供:Buñol Turismo(ブニョール観光局)

特に私が違和感を感じてならない集団は、家族です。昔のように大家族だったら話は違うのですが、こんな小さい単位になっても変わらず家族だけで物事を収めるとか、無理がある。家族は、多くの人にとって特別な存在です。愛してるのに、幸せを望んでるのに、真逆の態度を平気で取ってそれが許されちゃう、論理も倫理もグッチャグチャのハラスメント・ヴァイオレンス・祭り。トマト型の愛憎をいつでも不意に投げていいルールで、さらにその濃度が濃い親子とか夫婦とかの当事者だけで全ての問題を解決しなきゃいけないという、現実逃避するしかない異様な世界。どこの平和そうな家族も同じ。子どもは大人が思うより、憎しみにくっついた愛なんて理解してません。

共生が主目的の集団

そんな経験の蓄積で、寂しいとか孤独とか言ってられないくらい、他人と過ごすのが苦になります。一人でいるのが好きなんじゃない。心を落ち着かせたい時に、気が済むまで閉じこもらせて欲しい。自分のタイミングで出るから待ってて欲しいだけ。でも学校や会社や家族は、それだけはやめて欲しいという立場で、時々居るそんな人を腫れ物のように扱います。別の主目的に支障が出るからしょうがない。

だから、共生を主目的にしたコミュニティで生きるの、良くないですか?

どう生きたいか

将来の夢は、職業を答えないといけません。どう生きるかではなく、どう稼ぐかを考える機会しかないから、どう生きたいかなんてねーよってなります。

でも、就職が目の前に迫った人は、どう稼ぐかの時に割とリアルな生活をイメージしています。とある信用金庫で働く20代の方に、なんでここに就職しようと思ったのと聞いたら、転勤したくないから銀行はなくて、早く家を建てたいから、ここならローンが組めるので。と言われました。リアル加減エグ。

どう生きたいかは、意識が届かないだけですでにあります。色んなきっかけを持ってその存在に触れるチャンスはあり、その時を逃さなければ可能性が広がります。

共生が主目的というのは、自分として日々をどう生きるかに向き合うのが目的です。それが、自分の潜在意識や能力に気づく機会になると思っています。

そして、学校や会社や家族は主目的により専念できて、学校はもっと深い学びを、会社はもっと効率的な儲けを、家族はもっと素直に愛し合えるんじゃないかな。そうなったらいいなと願っています。