自律の旅は長いです。だいたい80年前後。そんな旅のお供にオススメのキーワード「頼り上手になること」について熱弁します。
頼られると人は嬉しい
人を観察していて感じるのは、頼られて困る人より、頼られると俄然やる気に火がつく人の方が多い事です。社会性動物は仲間の役に立つ事に安心安全を覚える本能があるんだろうなぁと思います。だから頼る事は人を喜ばせる「ギフト」のようなものだと思っています。
喜ばれる頼り方
ギフトは気持ちだから何でも喜ばれるなんて発想はレトロでエモいです。欲しくないものはもらいたくないのが令和スタンダード。頼る事も同じで、頼られて嬉しい時と嬉しくない時があります。
私が頼られて嬉しいと感じるのは、励まされたい、アドバイスが欲しい、背中を押して欲しいという風に、主体がその本人である時です。対してめんどくさいと感じるのは、私が主体である頼み事。それは頼られてるのではなく、あてにされてると感じます。
あてにしているかどうかを
決めるのは相手
あてにしない方がいいのは間違いありませんが、あてにしている側は往々にして、そんなつもりじゃありません。でもなんだか不穏な空気が流れたら、自分はあてにしているんだと理解して撤収するのが賢明です。これ自分がよくやっちまってて、「そうじゃない」って弁解したくて説得の材料を探し回るんですが、別に相手は何かを勘違いしてるわけじゃない。
行為者観察者バイアス
自分が失敗したときは周りのせい(外的要因)にして、他人が失敗したときはその人のせい(内的要因)にする傾向のことを表す心理学用語です。自分が遅刻した時は電車の遅れのせいだと思うが、友だちが遅刻した時はだらしがないせいだと思う。ってやつ。このバイアスは人の標準装備で、出来事をありのままにボケーっと捉えれば誰でもこうなります。
あてにする話が行為者観察者バイアスだってことじゃないのですが、自分と相手は別の立場で存在しているという点が似ていて思い出しました。行為者と観察者は、気になっている部分が違います。行為者は外側、観察者は内側。だから、こっちからの景色をいくら語ってもくつがえりません。相手が気になっているのはそこじゃないので。こっちの景色の主張は、相手の反応をよく見てコントロールしないと、大切なものを失いかねません。
理想と現実のギャップ
そんなこんなで、自分を向いて自分主体で出来る事に励む中にしか、頼って喜ばれる機会はないと感じています。
でも自分を向けば、理想の自分と現実の自分にあるギャップを目の当たりにします。それは、はたから見る以上に苦しいもの。描いてる理想を知ってるのは自分だけで、高い理想を持っていたり、理想が曖昧な人にとっては、ギャップがあり過ぎて自律どころの騒ぎではありません。
ギャップを縮めてくれる存在
自分しか知らない自分もいるけど、他人しか知らない自分もいます。その自分を他人に教わる事で理想の自分が少しクリアになり現実の自分に寄ります。さらにその他人が自分を向いた人なら、自信を与える事が言えて現実の自分が少し上がります。逆に自信を奪う人と居ると現実の自分は下がり、差がより広がります。自信を奪ってくる人は関わる価値ないです。
頼られる番に備えて
意識を持ってかれる誘惑はなくならないし、頑張っても頑張っても失敗ばかりで自信は減る一方だから、自分一人の努力で自分を向き続けられるのはドMストイック野郎に限ります。上手に他人を頼りながら、自律しようと懸命に生きていたら、頼られる番がやって来ます。そうなったらやる気爆上げです。
自律したいあなたに頼られて喜ぶ私は確実にここに居ます。自分を向くための材料や道具をたくさん用意してますので、どうぞ、長旅のお供に。